牛島 光太郎 (ushijima koutarou)のホームページ



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『意図的な偶然 / intentional accident 』 について

京都を引っ越す時に、友人が、メモ用紙にギターの絵を描いて渡してくれました。
ドイツに着いた日、部屋があまりにも殺風景だったから、私はそれを部屋に貼りました。
ドイツから日本に帰国する時に、私はそれを壁から剥がして、お財布に入れました。
日本に帰って、自分の部屋にそれを貼りました。
しばらくして、台湾に行くことになり、私はそれを持って行くことにしました。
台湾のスタジオにそれを貼っていると、遊びに来ていた台湾の友人が「これは何?」と私に聞きました。
私は考えたあげく、それを「お守りのようなもの」と彼に説明しましたが、それが何なのか、自分でもよく分かっていませんでした。


2008年より、『意図的な偶然 / intentional accident 』と題した連作を制作・発表しています。
これは、日常生活で私が実際に拾ったモノや、私にとって思い入れのあるモノと、文字を刺繍した布で構成する作品です。


それまで価値の無かったモノが、何かをきっかけに価値あるモノにみえる時があります。
大抵の場合、それは錯覚だと思うのですが、私はそのことについて、もう少し知りたいと思っています。

『組み合わせの方法 』について
『組み合わせの方法』は、「モノ(日用品数点)」と「言葉」を組み合わせた作品です。
「モノ」と「言葉」が指し示され合う関係ではなくなった時に、「モノ」も「言葉」も宙ぶらりんの状態になります。
私はこの「宙ぶらりんの状態」を大変魅力的に感じ、また物語を展開する方法として大きな可能性があるのではないかと考えています。

『 - の話』について


『 - の話』は、私がある地域に滞在し、リサーチを通して制作する作品です。
「 - 」には訪れた地域の名前が入ります。
滞在中にその地域で私が見聞きした事柄(テキスト)と、その土地で撮影した写真で構成する作品です。
滞在中に特別な事は起きないのですが、私はたくさんのメモを取ります。

このような方法で、様々な場所の記録を残したいと考えています。

『海の街』について

会場となった鉄工所は、海に近い場所にあります。
作品制作にあたり、鉄工所に勤務される全社員の皆さんから、海や舟にまつわる思い出をインタビューさせていただきました。
聴き取ったお話は、内陸で育った私にとって、どれも魅力的に感じました。
聴き取ったお話をベースに物語をつくりました。
工場内を、夜の海や街に見立てて、大小様々なステンレスのオブジェを展示しました。


かえりみちをつくる』 について

「帰り道」とは、文字通り「帰る時に通る道」です。
物理的な道を指す言葉ではありますが、同じ道でも誰かにとっては「帰り道」かもしれないし、別の誰かにとってはそうではないかもしれません。使われる文脈にもよりますが、帰る先は居住地であることがほとんどです。
そう考えると、道という公共の場でありながら、個人的な意味合いがとても強い言葉です。
この展覧会は、三津の蔵を所有しているある家族から聴き取った話をベースにしてつくりました。

『外側のかたち について

『外側のかたち』は、私にとって思い入れのあるモノや誰かにもらったモノや拾得物などを素材にしています。

数年前、アトリエに数百個以上あるこれらのモノを良い状態で保管するために、台をつくろうと考えました。
プラスチックでそれぞれのモノの形状にあわせた台をつくっているうちに、台の形が船や家のような形に近づいていきました。
さらに、つくり続けていると、だんだんおかしな形になっていきました。
何をつくっているか自分でもよく分かりませんでしたが、出来た作品をみると、それぞれが生きているようにみえました。

今、振り返ると、私は「台」をつくりたかったのではなく、個人史を留める方法を探っていたのではないかと思います。
些細なモノばかりですが、『外側のかたち』は、私だけに限らず他の誰かも含めた「小さな歴史」を、物質的に留めるための私なりの方法なのだと思います。

六本木アートナイト2018
『組み合わせの方法 -六本木の場合-』について
六本木で入手した様々な「モノ」を素材に、『組み合わせの方法』を展開。

主な展示場所
六本木駅を中心にカフェや郵便局など16店舗で展示。
主な展示場所は、スターバックス(Starbucks/六本木エリア内6店舗)、TULLY'S COFFEE(タリーズコーヒー)、BLUE BOTTLE COFFEE、乃木坂郵便局

『届かなかった光の範囲』について
この作品をつくるために、可能な限り、笠原に通いました。
笠原にお住まいの方に、使用しなくなった日用品やテーブルライトをお借りしました。
また、廃校となった小学校からは、廃校になる前に使用されていたモノをお借りしました。
お借りしたモノを眺めていると、ふと使っていた人たちの生活を垣間見たような気になります。
今回の展示は、笠原の人たちの手元を照らしてきたテーブルライトを光源にして、文字通り、笠原のモノに光をあてるというものです。

※この作品は、九州大学ソーシャルアートラボ主催のアートプロジェクト『里山を編む』で、廃校となった旧笠原小学校(福岡)の体育館でインスタレーションした作品です。

『scene』について

私は物語をつくるという事を強く意識しながら、作品中に言葉を用いて作品を制作しています。

2003年から作品タイトルを『scene-1』、『scene-2』、『scene-3』、、、という様に統一して、現在『scene-49』まで展開しています。(2015年2月1日現在)

意図的な物語の構築は避け、日常生活の中、私の中にとりとめなく浮かんでくる場面や風景、出来事などを切り取り、それらをつなげながら展開しています。そのため、物語の展開や結末などについては、一切設定していません。

この物語が、私だけでなく、私以外の誰かにとってもある重要な意味を持つものになればと願っています。

『何も起きない話 』 『みちのもの』について

私は、数年前から路上に落ちているモノ(ボタンやキーホルダーなど)を拾い集めています。
これらのモノは、落とした人にとって大切なモノだったかもしれませんし、そうじゃなかったかもしれません。いずれにしても誰かが所有していたたくさんのモノが、私のアトリエに置かれています。

2010年のある展覧会で、これらのモノを500個ほど並べて展示してみました。
私は、500人の個人的な出来事を1度に見たような気分になり、単純に美しいと感じました。
そして、これらのモノの置くべき場所について考え始めました。

私や他の誰かの個人的な事柄を全て記録することはできませんし、それに意味があるとは思えませんが、拾わなければなかったことになるような日々の事柄の保管や整理の方法を考えています。

私は歴史の本をよく読むのですが、私自身は歴史や記憶にすら残らない毎日の中にいるのです。