牛島 光太郎 (ushijima koutarou)のホームページ



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『 scene 』について

私は物語をつくるという事を強く意識しながら、作品中に言葉を用いて作品を制作しています。


2003年から作品タイトルを『scene-1』、『scene-2』、『scene-3』、、、という様に統一して、現在『scene-49』まで展開しています。(2015年2月1日現在)


意図的な物語の構築は避け、日常生活の中、私の中にとりとめなく浮かんでくる場面や風景、出来事などを切り取り、それらをつなげながら展開しています。そのため、物語の展開や結末などについては、一切設定していません。


この物語が、私だけでなく、私以外の誰かにとってもある重要な意味を持つものになればと願っています。

『意図的な偶然 / intentional accident 』 について

京都を引っ越す時に、友人が、メモ用紙にギターの絵を描いて渡してくれました。
ドイツに着いた日、部屋があまりにも殺風景だったから、私はそれを部屋に貼りました。
ドイツから日本に帰国する時に、私はそれを壁から剥がして、お財布に入れました。
日本に帰って、自分の部屋にそれを貼りました。
しばらくして、台湾に行くことになり、私はそれを持って行くことにしました。
台湾のスタジオにそれを貼っていると、遊びに来ていた台湾の友人が「これは何?」と私に聞きました。
私は考えたあげく、それを「お守りのようなもの」と彼に説明しましたが、それが何なのか、自分でもよく分かっていませんでした。

2008年より、『意図的な偶然 / intentional accident 』と題した連作を制作・発表しています。
これは、日常生活で私が実際に拾ったモノや、私にとって思い入れのあるモノと、文字を刺繍した布で構成する作品です。

それまで価値の無かったモノが、何かをきっかけに価値あるモノにみえる時があります。
大抵の場合、それは錯覚だと思うのですが、私はそのことについて、もう少し知りたいと思っています。

『 組み合わせの方法 』について

『組み合わせの方法』は、「モノ(日用品数点)」と「言葉」を組み合わせた作品です。

「モノ」と「言葉」が指し示され合う関係ではなくなった時に、「モノ」も「言葉」も宙ぶらりんの状態になります。

私はこの「宙ぶらりんの状態」を大変魅力的に感じ、また物語を展開する方法として大きな可能性があるのではないかと考えています。

『何も起きない話 』 『みちのもの』について

私は、数年前から路上に落ちているモノ(ボタンやキーホルダーなど)を拾い集めています。
これらのモノは、落とした人にとって大切なモノだったかもしれませんし、そうじゃなかったかもしれません。いずれにしても誰かが所有していたたくさんのモノが、私のアトリエに置かれています。

2010年のある展覧会で、これらのモノを500個ほど並べて展示してみました。
私は、500人の個人的な出来事を1度に見たような気分になり、単純に美しいと感じました。
そして、これらのモノの置くべき場所について考え始めました。

私や他の誰かの個人的な事柄を全て記録することはできませんし、それに意味があるとは思えませんが、拾わなければなかったことになるような日々の事柄の保管や整理の方法を考えています。

私は歴史の本をよく読むのですが、私自身は歴史や記憶にすら残らない毎日の中にいるのです。

 

『1枚物語』について

私たちが日常的に目にしている新聞や雑誌、漫画や挿絵入りの読み物などの印刷物は、基本的に写真やイラストなどの「イメージ」と「テキスト」によって構成されています。
その中で、「イメージ」と「テキスト」は、お互いに補足・説明する関係にあると言えます。

『1枚物語』は「イメージ」と「テキスト」によるドローイングですが、「イメージ」と「テキスト」は、単純に関連しない関係にあります。
そのため、作品をみる時、「イメージ」と「テキスト」の関連性を想像しなければなりません。

「イメージ」と「テキスト」がズレているために、物語がどこにも着地しない状態に魅力を感じています。

この連作は、「イメージ」と「テキスト」のより良いズレた組み合わせをつくる訓練のために始めたものです。

『 - の話』について

『 - の話』は、私がある地域に滞在し、リサーチを通して制作する作品です。
「 - 」には訪れた地域の名前が入ります。
滞在中にその地域で私が見聞きした事柄(テキスト)と、その土地で撮影した写真で構成する作品です。
滞在中に特別な事は起きないのですが、私はたくさんのメモを取ります。

このような方法で、様々な場所の記録を残したいと考えています。

『 届かなかった光の範囲』について

この作品をつくるために、可能な限り、笠原に通いました。

笠原にお住まいの方に、使用しなくなった日用品やテーブルライトをお借りしました。
また、廃校となった小学校からは、廃校になる前に使用されていたモノをお借りしました。

お借りしたモノを眺めていると、ふと使っていた人たちの生活を垣間見たような気になります。

今回の展示は、笠原の人たちの手元を照らしてきたテーブルライトを光源にして、文字通り、笠原のモノに光をあてるというものです。

※この作品は、九州大学ソーシャルアートラボ主催のアートプロジェクト『里山を編む』で、
  廃校となった旧笠原小学校(福岡)の体育館でインスタレーションした作品です。